Milkmeta

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例えハローワークでも焦らない生き方を。

受付番号445。

町田のハローワークに通ってます。

ハローワークというと、この不況下で無職の方々がたくさん利用されているのかなーとか、テレビの映像で目にはしてるけど実際雰囲気はどんなのかなーとか、いくら無職状態とはいえ通うには抵抗感があるよなーとか、それぞれ大して裏付けも取れていない不確かな思い込みだけで「けっ、付き合ってられるかよ」的なふてぶてしい態度を取っていたのですが、卒業から1年が経過した中で状況を少しでも改善の方向へ動かすためにはやはり積極的な情報収集と行動が必要という当たり前の結論に達したわけで、ようやくというか、やっとというか、「行ってみようか」と最近になって思えるようになってきたところなんですね。はい。

今までもネットの求人情報サイトであったり、母校のキャリアサポートセンターを利用したり、就職情報の載ったフリーペーパーを見かければラックから1冊引きぬいてみたり、日曜日の新聞折り込みに入ってくる求人広告をたまにチェックしたり、形だけでも求職中の立場を崩したくはないというか、それを止めてしまうと大事な時間を無駄に過ごしてしまうのではないか…という不安感だけで何とかもってきたんですけど、ここにきて心理的余裕を食いつぶす問題が発生してきたわけです。

当たり前ですけど、収入がないんですね。無職の身は。

21世紀に入ってからの終わりの見えない不況感の中、アルバイトの経験もなく愚直に生きてきた結果がこれなのか、と。確かに勢いでマイクロ一眼GF1を買ってしまったり、ケータイの定額を上限まで使い切ってARPUに貢献したり、そういう下手なお金の使い方をしてきたことは反省してはいるんですが、それ以上に絶対的な収入のない中で、不定期に訪れる父や母や親戚からの救いの手を待ちながらココロのスキマに新聞紙を詰める生活はもう嫌なんですね。

せめてアルバイトからでも、パートからでも、何かしら収入を得て安定した生活と心理的余裕を確保したいとは思っているんです。

そんなハローワークに通い、求職に必要な一通りの登録を済ませ、求人検索用の端末の使い方を覚え、求人票の読み方と紹介状発行までの手続きを頭に叩き込み、若者相談コーナーの予約を取ったまでは良かったんです。「自分、まともに社会復帰を考えてるんじゃね?」的な、不安を打ち消すだけの自信とテンションを保てていたので、それまでは良かったんですね。

で、求人検索の中から実務経験を要さず、地理的に通うことの可能な範囲の企業で、自分の学んできた得意分野につながるであろう職種の求人票を一通り印刷して、予約していた相談コーナーに向かったわけなんですよ。

全部ぶち壊しじゃないですか。

そうですねぇ、確かに週5日フルタイムで働くには体が持たないかもしれない、その通り。
雨の日も風の日も電車に乗って新宿や渋谷や池袋まで向かうのは精神面でも持たないかもしれない、その通りですよ。
学んだことを活かせる職種にしてもそう採用数は多くないのだからやりやすい仕事を探すことも考えないといけない、その通りなんですよ。
まだ21歳なのだから焦らなくても良い方向に向かうことはできる、それは確かにその通りとしか言いようがないじゃないですか。
優等生的とまではいかないですけど、若者相談の担当の職員の方が仰ることは一求職者としての現状と近い将来のことを本気で真剣に考えて下さった正直な回答だとは思えるんです。その通りですよ。

その通りに動けないから辛いんじゃないですか。

論理的に考え行動できるだけの正しく綺麗で素直な人間になれないから、少しでもテンションを上げて就職に向き合えるようにしてるんじゃないんですか。そりゃ焦りますよ。焦り。衣食住足りて礼節を知るじゃないですけど、ケータイ料金の引き落とし日に口座に残高がなくてソフトバンクショップの親切な店員さんに現金で支払わなきゃならなくなった日のこととかどこをどうしたら余裕を持てるんですか。落ち着いて状況を乗り切れるだけの力がないからこそ焦りをスピードに変えて何とか乗り切ろうとしているのに、焦らなくてもいいですよなんて言われても困ってしまう自分がいるわけですよ。こんな自分をどうしろと。はぁ。

続く。

排除の空気に唾を吐け。

P1020027

ブログの記事を書いたりしてた。

http://d.hatena.ne.jp/milkmeta/20100512/1273675618

今のブログを始めたのは2006年の1月で、その時から身分も心境も変わったというのに、文章を書く技術はなかなか向上しないなぁ。

それこそ日記として、365日こつこつ考えを出していけば表現力も向上するんだろうけど、自分の観察眼というものが無いからか、文章に起こす作業が億劫で億劫で。

何かこう、どこにでもある日常風景をドラマチックな物語に変える魔法とかないものだろうか。お金で買えるものなら買ってみたい。ごく自然な生活を暮らせる喜びを、普通の言葉で伝えられる魔法とか、ないものだろうか。

初出: mixi (2010年05月12日掲載)

ニートは“逃げ”とあなたは言う。

『排除の空気に唾を吐け』。

専門学校を卒業して、現在1年とひと月ほど。職業: 無職、肩書きは“ニート”、そんな裄乃由紀野です。

一口にニートと言っても2008年の調査では64万人、生活は人それぞれですね。

私も卒業前は「いま就職が上手くいかなくても、いずれは…」とか、かすかな希望を持ってはいたのですが、いざ卒業してしまうと、どうしてもダラケてしまう自分がいます。

最初は落ち込んだ気分でいっぱいのニート生活も、半年を過ぎてしまうと慣れてしまって…集中出来る時間を作る難しさがどんどん上がってくるんですよ。家にいても一日中ネットにのめり込んだり、気がつけば25時、とか。

そんな環境から気分転換を図ろうと、MacBookを持って出かけたりもします。コーヒーが飲めてWi-Fiが通る、集中して打ち込める場所…といえば、例えばマクドナルドとか。

コーヒー+アップルパイ、170円のクーポンが今日の頼りの綱です。ネット依存、という意味ではマクドナルドも大して変わりはないですけどね。


振り返って自分の動きを見てみると、具体的な行動を続けていくことが苦手なんですね。

卒業後も求人サイトの募集をチェックしたり、専門学校の方で求人を探したりしたんです。でも、続かない。

デジタル一眼を買って貯金を使い果たした9月の時、親戚に紹介されて面接を受けた2月の時、変わるチャンスはあったのに、積極さが続かない。

4月からは履歴書を送って応募したり、都内の企業の面接を受けてみたり、ハローワークに行って求職手続きをしたり、出来ることはしているはずなんですが。

…やっぱり、“甘え”と言われれば、それまでなんですね…。


今日は図書館に行って、「生きづらさ」を取り上げた新書を2冊ほど借りたり、脱ニートに関連する本を借りたり、そういうことをしてはいるんですけど。

排除の空気に唾を吐け (講談社現代新書)
排除の空気に唾を吐け (講談社現代新書)

「生きづらさ」について (光文社新書)
「生きづらさ」について (光文社新書)

「ニート」支援マニュアル
「ニート」支援マニュアル

自己分析の、つもりで。

夢に向き合えるか。

自分の夢を叶えるためには、どれだけの努力が必要なのだろう。それは、誰が決めるのだろう。

「夢をあきらめないで」と言うのは簡単だけど、実際のところ、どれだけの人が夢に向き合えるのだろう。社会の重圧に揉まれながら、志を語り続けることはできるのだろうか?

"近頃、強く思うのです。 行ってみたいと思う場所は行くべき場所であり、 会ってみたいと思う人は会うべき人なのではないか、と。 行ったところで、会ったところで、それが何の意味もなさないとしても。"

http://milkmeta.tumblr.com/post/587941187

Googleの企業広告「検索ストーリー おとなになったら」編に登場する「宇宙飛行士になるには」というキーワード。

その昔、NASAは宇宙飛行士の募集要項として「裸眼視力0.1以上」という条件を謳っていたといいます。極限の環境で的確に任務を果たすために、厳しい条件で人を選ばなければならなかった時代がありました。

宇宙飛行士に降りかかる障害といえば、TVドラマの『ロケット・ボーイ』を思い出したりもします。予期せぬ怪我を負った主人公が、面接の場でそれでも宇宙飛行士を志す理由を語るシーン。ドラマとしての質はともかく、印象深い光景でした。


Twitterを初めてから、いろいろな分野での有名人の方をフォローして、発言を見る機会が確実に増えました。ずっと抱いていたあこがれの存在、そんな方々への距離感は確かに近くなりました。

それでも、同じ140文字の制約の中で、豊かな知識と知恵と経験を見せつけられると、心穏やかではいられない自分がいます。夢に見ていた景色が、今にも手の届きそうな距離にあるにもかかわらず、行動的になれない自分のやるせなさといったら…。

――自分の夢に自信が持てない今の状況を、なんとか抜け出したいものです。

現代アニメの基礎知識。

げんしけん』って作品があるじゃないですか。『げんしけん』。

げんしけん(1) (アフタヌーンKC (1144))
げんしけん(1) (アフタヌーンKC (1144))

げんしけん DVD-BOX
げんしけん DVD-BOX

大学のサークル、現代視覚文化研究会で巻き起こる漫画・アニメ・ラノベ・ゲーム・フィギュア・プラモ・コスプレ・同人誌といったおたくカルチャー…今Wikipedia見ながら書いてますが、まあそういう作品じゃないですか。

あれを最初に見たときに、当時ぬるオタ気分にどっぷりと浸かっていた自分は結構新鮮な印象を感じて、あー、そうか標準的なおたく的行動パターンとはこういうモノか…と妙に納得してしまったわけですよ。“標準的なおたく”なんてあるのかどうかは別にして。

今ちょうど手元にアフタヌーンKC持ってきたんで、そこから引っ張ってみましょうか。

例えば4巻第22話、「げんしけん誕生」で、「くじアンアニメシリーズ総括会議〜」とかやってるじゃないですか。監督が替わった、後半作画がボロボロ、演出と人気のズレ、名シーン…とか、語るじゃないですか。

で、「語る」って言いましたけど、ひとつの作品を語るときに、単なる「作品を見たときの印象」以上に、人はその背景に注目することがあるじゃないですか。例えば『げんしけん』TVシリーズであれば、池端隆史監督、シリーズ構成の横手美智子氏、演出・作画・その他もろもろ、作品ひとつの流れとは別に、そこに携わる作り手の立場から見た流れというのを辿ることで見えてくるものもあると思うんです。

そういう背景を知ると、作品の良さ・悪さを“語る”軸が増えるわけですし、会話の密度が高まったりするじゃないですか。語り手に十分な一般知識が無いと、単なる感想以上の何かを共有するのは難しい、と。

一方で、じゃあ作品を語るには具体的にどの程度の知識が必要なのか?ってのは、意外と曖昧じゃないですか。ガンダムシリーズを語るためにファーストから∀まで全部見返せるか、って難しいですよ。春の新作を追うだけでも時間と気力が必要なのに、旧作のディテールまで一人で把握しようとするのは無茶、みたいな。

自分自身で追えないところを割りきって、どの程度のレベルで線引きするか、というのを自分は考えているわけです。
自分の場合は『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』をきっかけにアニメ文化への興味を持ったので、それ以前の作品に対して十分な教養が無い、と思ってるわけです。『新世紀エヴァンゲリオン』もきちんと追えていないし、『AKIRA』もちゃんと見たことはない…みたいな。

さて、どうまとめたらいいものか…。

JINS、LMU-10-041。

JINS、LMU-10-041。

交差点で君が立っていても もう今は見つけられないかもしれない
君の優しい流れる茶色い髪にも 気付かない程涙にかすんでさらに
見えなくなる全て

aiko「アンドロメダ」

実は、初めての眼鏡選びだったりして。

お店によって値段もサービスも多種多様な中で、何に重点を置いて選ぼうか?と考えながら探してみて、種類と値段と行きやすさの点でJINSはどうかな、なんて。

アンドロイドは就活生の夢を見るか?

理論武装の技術を身につけたい。
その場しのぎの言葉ではなく、確信のある言葉を、
戦略的に一言一言をぶつける力が欲しい。
そんなことを思ったのは、やはり月曜日のあの動揺が引き金か。

企業の採用担当なんだがニートで就職に悩んでる奴話しよーぜ
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-678.html

企業の面接を受けるのはこれが2度目で、
やっぱり圧倒的に経験が足りないというのもあるのだけど、
重厚感溢れるドアを2度ノックして、ソファーに掛けた頃には、
気をおかしくしそうでたまらない。

曲がりなりにもQ&Aを読み込んで、
答えにくい問いにも堂々と返してやるつもりだった。
けれど場の雰囲気に飲み込まれてしまったのか、
経歴のこともデザインのことも、不安をまともに口にしてしまう。

「いや、そうではなくて…」と2度言われた。
デザイン観を一言で表わしてほしいと求められたにもかかわらず、
「んー、そうですねぇ、何だろう…」的な感じで言葉に詰まる。
自分を出していくのは難しい。

自分の思いを裏付ける理論がほしい。
緊張感に押し潰されないだけの自信を持ちたい。
そんなことをなんとなく、思っている。

初出: mixi (2010年04月07日掲載)